絵に向かう幸せな背中に想うこと

アートは、子ども達の自分らしく生きようというエネルギーに直接働きかける。そう強く想うことがある。
モンテッソーリ教育の環境には、日常生活の練習や算数、言語といったさまざまな領域があり、どれもこれも子ども達が自由に選択し、好きなだけ繰り返し、集中することができる。そもそも選ぶかどうか、どれだけ繰り返すか等は自由でも、理由があって、目的や最終形が決まったものも多い。その中にあって、最終形が自由であるアートは特別大切な領域だと考えている。

子ども達が、用意された個々の芸術の活動に惹かれるかどうかも自由であり、惹かれる理由もまた様々だ。鉛筆では、まだまだ筆圧や指先の動きを自由に調整できない幼い子ども達ほど、のびのびと絵筆を自由に動かし、自分の手が動いた方向に色が表れるという動きが楽しくて、「動き」そのものに魅了されるということも多い。幼い子ども達が描いた絵が、時に信じられないほど美しく、新鮮に感じられるのは、最終形を念頭に置いて描く大人の絵とは全く異なり、動きに魅せられてたどり着いた絵だからかもしれない。

 

幼児であっても、年齢が上がれば上がるほど、「これを描きたい!!」という具体的な意志が表れてきて、それはそれで素晴らしいことであり、その時に、自分の想うように身体が動き、描きたいと思う世界が描けることは、子どもにとってはもうそれ以上ないというくらいの喜びであり、それが、まるで背中そものものが笑っているような光景を生み出すのだと思う。

 

 

たかが絵筆といえども、動かそうと思わなくては動かないし、意志がなければ色も選べず、身体も動かない。大前提として、子どもが誰にも邪魔されずにその活動に没頭できるという環境も大切だと考える。逆に、何かを自由に創作すればするほど、幼い子ども達の内側の世界と外側の世界の間にトンネルができて、そのトンネルが開通すると、その子は、多少の困難があろうとも、いつだって自分を拠点にして、生き生きと、自分の思い描く世界を生きることができるのだろうと信じている。

 

今日も、絵に向かう幸せな背中をいくつも見ながら、こうやって、いつも子ども達に大切なことを教えてもらっていると感じた一日でした:)。

 

We should help the child...because he is endowed with great creative energies, which are of a nature so fragile  as to need a loving and intelligent defense.
Maria Montessori The Absorbent Mind

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